世の中がへんなのか、私が変なのか。でいえばもちろん後者であることは自負できるのだが、それでも物理法則だけは真理だと考える。
ジャパンモビリティショーが開催されて、いろいろなデザインの車たちが出ているが、はて、1995年のホンダのSSMを超えるものがあるかというと、ない。この30年間、自動車は進化はせずただ成熟していき、その結果腐敗しはじめた。その最たる例がEVである。
EVはとにかくテスラがダメだった。
テスラは見た目はヨーロピアンなすっきりとしたセダンであるが、心根は変わらない、アメリカンV8ドロドロである。マッチョなパワーと、エネルギーを浪費する、エコの真逆の発想でできた、とんでもないマッスルカーである。にもかかわらず、CO2を出さないというこの一点と、スマホに車輪をとりつけたようなガジェット感がIT界隈にウケた。
バッテリーなんていうエネルギー密度の低いもので、ガソリン車を上回るパフォーマンスを出す。それにはモーター出力を大きくする、航続距離が短くなる、じゃあバッテリーを大きくする、大きく重くなる。そしてまたモーターを大きくする、の悪循環である。
その結果できたのが見た目セダン、重さはトラックの知性も品性も見当たらないEVである。
ところが、これがウケた。売れた。じゃあってんで世界中の車メーカーがテスラを目指した。その結果どうなったか。
いやもう、みんな知性も品性もなくなった。ロングレンジEVなんて幻想、というのに気づかなかった、いや気付いたのにお金もちからたくさんお金をもらうためにはそれしかなかったのである。
究極のEVはとにかく小さく軽く、みんなが忌み嫌う街中を暴走する自転車もどきや電動キックスクーター、あれが合理的。でも安くもうからない、だから自動車メーカーがやらないのも仕方ない。そしてスタートアップが世界中で交通法規やモラルを無視、とにかく普及させるという戦略で世界中が大迷惑している。
なんだろう、このカオスというか、世紀末。
そんな世紀末のジャパンモビリティショー。やはり唯一の救いは小型EV、軽EV。EVはショートレンジであるべきなのだ。そうすればバッテリーは小さく軽くでき、モーターも小さくなり、車体も軽くなり、エネルギー効率は上がる。
軽EVに300kmだ400kmだのロングレンジを求めてはそもそもいけない。だって軽自動車は軽4輪という、その街中で配達したりするための軽2輪車を4輪にしたのが出自なのだから。
ここ北海道で生活すると、1日の移動距離は往復20km。温浴施設に入りに行って+10kmで30km。もしどこか遠くにいくことがあれば、そのときは自宅にもどってガソリン車に乗り換えればいい。だいたいどこいくのも10km圏内、15分以内なのだ。
車一台ですべてをこなすのはガソリン車が得意としたところであり、EVはあくまでもガソリン車の登場、使用を抑制するサブ機であるのが理想的。もちろんこれは郊外の自動車2台持ちが前提となるが、北海道はアパートの駐車場ですら2台あるのは普通。近くにガレージも借りられる。
ただこれも自分が自由に運転できる、という前提があればこそ。
マイカーの発達により駅前は衰退、同時に公共交通機関も使われなくなりバス会社が撤退。駅は廃止。それでも高齢者や車を持たないものはゼロではない、公共交通機関はライフラインである。そのため自治体が数千万円の予算でバスを購入し、運行を別のバス会社に委託してなんとか保持している。
マイカーの普及が地方のインフラを破壊し、衰退を加速させている現実。
そしてそのマイカーも少子高齢化により、衰退するのは必至。かなり詰んでいる状況にもかかわらず、ジャパンモビリティショーは華やかだし、自動運転タクシーの時代が来るとみんな思っている。
高価な自動運転タクシーが機能するのは一部の都市だけで、北海道の地方都市では絶対にペイしない。都会と地方の温度差は激しいことを痛感する。
便利な都会はさらに便利さを求め、地方は活力も若さもなくお金も補助金頼み。
ガソリンを安くしようとしているが、今後国をどう維持していくのか。国は東京だけでいいのだろうか。そんな東京近郊はこの三連休大渋滞だ。
マイカー、というものの終焉が来ているのは明らかで、そうなるとカーメーカーの淘汰もすぐそこ。
2年後のジャパンモビリティショーはどうなっているのか。色々心配だ。