GA2 CITY CR-i 平成6年式(最終ロット) |
モータースポーツの楽しさ、奥深さを教えてくれた、思い出の一台です。新車で出ていたら、もう一度買ってもいいくらい。
関越スポーツランドにて 1996年10月 |
関越スポーツランドにて |
ダンロップのSタイヤ、D98Jを履いています。この頃はこれが最強でした。RE520Sは雨の日に使っていました。 |
何もない室内です。エアコンなし、カーステなし。 バケットはブリッド ARTIS、ハンドルはナルディクラッシック 360φです。リアシートにはまだビニールがついています。新車でかって、外しませんでした。 |
本当に小さなエンジンルームです。いまの衝突安全基準なんて、満たせるはずもありません。OHC4バルブのなんてことないエンジンなのに、燃費よし、パワーありで十分スポーティでした。 この頃のレギュレーションは現在のN規定とほぼ同じで、エンジンルーム内はほとんど何も変更が出来ません。プラグくらいですね。 |
フロントにエンケイRC-Tを履いています。これはデザインもよく、軽量でお気に入りでした。96spec インテグラタイプRもこれでしたね。 |
昔の関越スポーツランドです。 |
こちらは当時のA1クラスチャンピオン、斉藤邦夫さんの車です。 |
当時は車高が下げられないので、クリアランスはこんなにありました。しかしそれでも全日本選手の車高は自分の車より10mm以上低い!なぜだ!と思ってとった写真です。 |
こちらはフロントです。 |
別の時にとったフロントの写真。ホイールはエンケイRC-Tです。 |
こちらも全日本選手斉藤邦夫さんの車のリアです。ホイールはブリジストンのスーパーラップですね。当時は鉄ホイールを白く塗装して、なんちゃってスーパーラップとかやってました。 |
こちらはリアの写真。すんごいクリアランスです。イマドキこんな車高は考えられませんね。車高は当時、ゲンコツ1個とか、1個半とか、ゲンコツが単位でした。 ホイールはどこのか不明です。 |
西伊豆ドライブ |
お気に入りの一枚。このプロポーションがカッコイイと思っていました。しかも車高の高さが目立たないし。 |
改造車検 |
1997年5月頃、2名乗車にするために、改造車検を通しました >>
リアシート、シートベルトを除去しました。助手席にも4点式シートベルトを付けました。 この頃は色のマッチングとかよりも、あるものを使う。もらったものを付けるポリシー。すべては貧乏のなせる業です。 もちろん車検も自分で通すし。 |
街乗りにはフロントだけノーマルタイヤをはかせたOZレーシングっぽいホイールを青に塗ったものを使っていました。 色のマッチング、センスは最悪です(^^) でもさっきも書いたように、あるものは使うポリシーなのです。 |
2名乗車にしたので、軽量化のためにメルシート(吸音材)を剥がそうとチャレンジしたときの模様です。 |
フロアカーペットを剥がすと、なんとこんなにメルシートが!? シティって高級車だったのかと間違えるばかりにべったりとついてました。これに私はめげてしまい、結局このまま見なかったことにしてフロアカーペットを元に戻しました。 やったのはリアシート部分だけです。 |
筑波サーキット走行 |
1997年10月頃
シビックタイプRに乗り換えることが決まっていたので、売りに出していました。 価格は60万円。この車に負けたら、買ってくださいという意味もこめて、リアウィンドウに貼り付け(笑) |
今までつけてなかったフロントリップスポイラーがついています。 これは元々ついていたんですけど、慶応湘南藤沢キャンパスの裏の畑でサイドターンを練習していたときに失敗して畑につっこんで壊してしまいました。ナンバープレートもそのときに少し破れてしまいました。 それを売却にあたり、パテで埋めて塗装しなおして装着したのです。 |
自宅前の駐車場にて。これは売却する日のショットです。 1997年10月27日頃 |
シートがノーマルシートに戻っています。 ああ、ドナドナドーナードーナー(涙) |
過去の栄光(トロフィー) |
シティではたくさん入賞して、トロフィーをこれだけ頂きました。 |
JAF戦の初優勝は左上の盾、いまはなき富士スピードウェイ(FISCO) Nコースでした。コースが入ってるのが嬉しいです。 |
一番下のトロフィーはJMRC関東ミドルで2位に入ったものです。 このときの3位は2001, 2002年A1全日本チャンプの矢島融さんでした。2003年はN2クラスを戦っています。A1の星、がんばれ! ※矢島さんに勝ったのは後にも先にもこの一回だけです(笑) |