DIALY OF JUNE 1999


6月 30日(水)どしゃぶり 後 晴れ


健常者とそうでない者?

すごい大雑把というか、こういう区別していいのかどうか抵抗があるわけ方。 それはおいとして、報道特集で車椅子ドライバーのカートをやっていた。車椅子生活となった人はバイクやクルマの事故などで脊椎損傷で下半身が不自由になった人が主で、それなのにどうしてまた危険なカートなどやるのかという問いかけがあった。

理由は簡単、「楽しい」。そう単純に楽しいからだけど、多分その楽しさは普通の人とまた違ったものだろう。というのは、普通の人と比べると車椅子での移動は不自由が多いからだ。町中は車椅子で移動するには凸凹しているし、階段ばかりであったり、違法駐車や駐輪で道は狭い。だからこそ思いのままに移動することは格別に楽しいことだ。きっと車で自由に走ることは普通の人との差がなくなることでもある。カートも同じで、ハンドルとブレーキを手で操作する必要があるというハンディはあるものの、ほぼ同じ条件の中で競技できるのだ。

不自由を加速する街

よくバリアフリァー(名古屋風)といわれているが、依然街中は普通の人が快適なようにしか作られてない。まず階段。階段が1段あるだけでも車椅子は移動できなくなる。次に放置自転車。目が見えていればわかるものの、目が不自由な人には大きな障害だ。路上駐車も同じ。高速道路のパーキングなどでは必ず車椅子用の駐車場が設置されているが、ふつーの人がよく占拠している。しかしあの場所は駐車場的役割の他に、トイレ等へのアクセスも兼ねている。普通の駐車場からでは段差があって大変なのだ。

ふつーの人にとってたった1段の10cmほどの段差にしか過ぎないが、車椅子で上がることは難しい。人の助けが必要だ。

一番の不自由とは、自分の行動を自分で行えないということだ。人の助けが達成できる自由は不自由なのである。自由とは、「一人でやること」、「一人で出来ること」。

自由の範囲

たとえば幼児。幼児の行動半径は自分の歩ける範囲、、ではなく、親が見ている範囲である。幼児のうち一部は母親の目を盗んでどこかへ行こうとする。これは自由を求めての行動である。母親の元にいる限り、安全であるものの、不自由でもあるのだ。そして歩ける範囲といえばたかが知れている。

小学生になると、少し自由が広がる。それは小学校への徒歩通学であったり、自転車に乗って公園や町へ遊びにいくことである。これで自由の範囲はそれまで 100m から 1km前後に広がる。 さらに上になると、電車・バスなどの公共交通機関を使うとさらに広がり、数十kmとなってくる。

自動車ってじゆー

移動の自由は、免許をとることで飛躍的に拡大する。バイクであったり、自動車を使えば、伊豆や日光へいくことも楽々だ。そしてスピードという麻薬が動物である人間を刺激する。全速力で走ってもたかだか十数キロしかでないのに、自動車という鉄の馬を使えば百キロ以上の高速で移動できるのだ。

移動するリビング

しかしその一方で問題視されてないけど、非常に問題だと思っているのがこれである。「移動するリビング」状態のクルマ。これは2つの問題を持っている。一つは「危険性への認知不足」。つまりエアコンやオーディオでまるでリビングでくつろいでいるかのような気持ちで安易で1トン以上もの鉄の塊を百キロ以上の高速で飛ばすのだ。だからシートベルトもしないし、オーディオがんがん、クーラーがんがん、窓は全閉にして外の音なんて聞こえやしない状態でも構わない。リビングなのだから、窓は閉めるのは当然だ。

もう一つ問題なのは、リビングであることからもわかるように、クルマ一つが独立した共同体となることである。クルマ社会、交通社会という見地から考えると、そこで調和した共同体を営むことが望ましい。その共同体を円滑にするのが交通ルールであり、譲り合いの気持ちである。しかしクルマ一つ一つがリビングであり、独立していると同じ価値を持ち得ない。自分が楽で楽しくて得すればよく、他のクルマなんてお構いなし。渋滞の中の路肩走行や、割り込みが出来る神経はここからきている。自分の家でくつろぎ、わがまま放題をやっているようなと同じ感覚なのだ。

似たモノ夫婦とはいうが、家庭とは一つの共同体であり、それで一つのパーソナリティを持つ。カップルも同じ。本来ならば別の共同体に属した場合、その共同体での位置、役割を果たすべきところが果たせないのである。これは密室であることに所以する。

所詮動物

目線というのは重要だ。例えば見られているという刺激があればそうそう悪いことは出来ない。なのでクルマがすべてオープンカーで、目線も交われば、外の音も聞こえる状態であれば、割り込みしたクルマにガン付けることも、大声で文句をいうことも可能だ。所詮動物なので、狼に睨み付けられれば震え上がる。本当の狼は少ない。しかしな、今の時代、タバコを注意しただけで刺される時代だからガン付けるのも命懸けだ。

論理的な自由

さて、話は戻し、クルマは物理的、移動・位置の自由をもたらした。 では他にどんな自由があるのだろう。

それが論理的な自由である。実はクルマは移動の自由はあるものの、移動するには時間が代償となる。まあ、お金というのも代償なのだが、それはおいといて、例えば東京の人が福岡の人に会うには飛行機で2時間、新幹線で6時間、クルマで10時間必要だ。しかし相手の存在を確認したり、用件を伝えるだけであればそんな時間をかける必要がない。そう電話だ。

電話は論理的自由を約束する。所詮音声しかやりとりしないものだが、音声で事足りるものは多い。なぜならば人間は他の人間と言語を介してコミュニケーションをするからだ。かくして、電話を使うことで人は論理的自由を得ることができたのだ。

結局どらえもん

どらえもんの便利アイテムの中で特に出して欲しいもの、それが「どこでもドア」。これを使うと世界中自由な場所へ簡単にいけるのだ。どらえもんの世界は面白く、同じような機能をもつ別なアイテムが色々ある。近距離の移動にもどこでもドアが使えそうなのに、「タケコプター」があるし、小さくなるのにはガリバートンネルとスモールライトがある。

今の世の中、どらえもんの世界にまさに突入しはじめている。例えば前世紀まで音楽を聴くのは、ライブしかありえなかった。しかし今はTV、ラジオの中継はもちろん、テープやMDなどのストレージを使っていつでも、何度でも聞くことが可能だ。これはつまり音楽が移動の自由と、物理的自由を手に入れた。そして来世紀は論理的自由を手に入れる。そう、それがネットワーク配信だ。つまり電話、携帯電話と同じく、聞きたい音楽を簡単な操作を使うだけでいつでもどこでも聞くことができるのだ。

これは別に音楽に限ったことではない、デジタル化できるものはすべてそうなる。すでにそうなったものは、電子メールであり、WWWである。文書は今後すべてWWWサーバーのように全世界からアクセスできるストレージにストアされるのだ。そうなると新書や古書もない、本屋もいらない世界が来る。おなじく、CD屋、レンタルビデオ屋もなくなる。xanaduな世界が来るのだ。

忘れ物

しかし、何かを忘れている。それはなんだろう、手順に纏わる人との関わりだ。この世の中、手順を省けば省くほど、人間との関わりがなくなる。そのうちに言語をはなさなくても、マウスボタン一つで自分のやりたいことが出来てしまうかもしれない。しかしそうなったとき、果たして動物存在である人間は生きていけるのだろうか?

人との関わりが少なくなればなるほど、人はそれを求めるだろう。古くからBBS仲間やチャット仲間でオフ会が開かれているが、インターネット人口が爆発的に増えている今、同時にオフ会も爆発的勢いで伸びているはずだ。今は出会い的側面から、合コンのようなオフ会が目立つが、きっとこれは多様化していき、社会に浸透していくだろう。

再びバリアフリァー(名古屋風)

さて、ここで問題なのはそうやってネットワーク社会が浸透していったときに、PCを使えない人たちの存在だ。それはつまり高年齢層。高年齢層になり、社会から retireすればするほど出会いは少なくなり、自由は狭まる。それを開放する手段としてネットワークは有効だ。しかし現在ではそのPCを使うのはあまりにも障壁が高すぎる。そもそもボタンが106個もついている家電なんて使えるわけないよね。

これからの課題、それはネットワーク端末のバリアフリー化。それは入力手段であり、出力手段である。それが達成できた暁には、「京都のお寺でオフ会だ」といって出かけていく元気な老人の姿が見られるだろう。

机の次は電気スタンドだ!

豪勢な机を買ったので、次に電気スタンドを買った。机が豪勢すぎて、天板の角を斜めに切り落とすデザインになっていたので、普通のクランプ型のスタンドがつかない。しかたないのでフロアスタンドを買い、それにつけた。うーん、値段が倍だ。ところで、なんで電気スタンドという名前なんだろう。電気=ライトという時代はとっくの昔に終わっているのにね。ちなみに商品の呼称はライトが「アームスタンド」、フロアスタンドが「フロアベース」。


6月 21日(月)晴?


米の国とかいて、アメリカと呼ぶ。どうして?

突然ではあり、ずいぶんと先の話ですけど来年から1年ほどばかりアメリカ(多分)へ行くことになりました。合掌。

不埒な動機

いわゆる会社で「留学」させてくれるという制度に応募したところ、受かってしまった。そもそもこの動機が不純。留学制度は当然おりゃあアメリカさいって勉強して、それはすんばらしい成果をあげて帰ってきて、会社に貢献するぞ、だからいかせて? という人のため。理系の場合は研究 researchということで、大学院にいくとか、研究室へいって勉強するという、それはとても academicなことだ。だから普通理系で留学というと、研究所でなんかの研究していて、その研究をさらに伸ばすために留学するというケースが多い。

そーんな真面目な人たちの中、そこまで考えずに応募したやつがいる。それが自分。あー、英語できないなー、英語できたらいいなー、やっぱ英語はアメリカだよなー、住むのがてっとりばやいよなー、住むにはどうしたらいいんだー、赴任か留学だなー、赴任できるかなー、あ、仕事ないからできないやー、じゃあ留学はどうかなー、あ、制度に応募できるだけの英語の点数(TOEIC)がないやー、できないやー・・・ といっていたのだけど、去年その英語の点数が規定をクリアしてしまったのだ。お、こりゃいいや、じゃあ応募してみっか。

そーなんです、ただTOEICの点数があがって、応募用紙を出せる、それだけで応募してしまったのだ。しかもいつものように、締め切り最終日ぎりぎりに。課長に、部長には「どうせ遊びにいくんだから、せめて応募用紙くらいちゃんと書こうよ」とか、仕事に関連して書いたら「研究っぽくないなあ、もっと academicな名目つくろうよ」。はい、思いっきり作文しました。で、締め切り当日の締切時間ぎりぎりに人事に提出されたのだった。

その後TOEFLの模擬試験と、一次面接試験。まずTOEFL、これは今まで受けたこともなく、内容も知らなかったが、だいたいにおいて留学には TOEFL試験は欠かせないらしい。この点数によりコミュニケーション能力を計られ、大学に入れるかが決まるということをはじめて知った(遅いよ)。で、その結果は。留学制度応募人数のなか、16位/21人。自分よりも英語できないやつもいるな、しめしめ。しかし文法に限ると 20位/21人だった。ふっふっふ、そりゃ英文法なんて高校以来やったことないよ。ということで超要努力!

一次試験の試験官は人事部の2名と、研究に関連する部署の部長さん。その部長さんはちょうど一緒に仕事をしたことがあり、面識があった。ラッキー。その部長さんはさりげなくフォローしてくれたので、さらにラッキー。

というわけで、一次試験はクリア。自分の部長さんいわく「僕の推薦文では落ちるわけがない」といっていたくらいなので、そーとー実際より良く書いてくれたらしい。うーん、それで落ちたら英語能力か、面接能力が欠けているってことね。で、二次試験は人事部の部長さんクラス2名と面接。内容は一次試験と同様、現状の業務内容、応募動機、研究内容、志望研究室に関することを聞かれた。この試験は本当に緊張したね。考えてみれば自分の人生の中で試験というものは極力避けてきたわけで、いってみれば試験経験が少ない。なにせ中学受験以来、高校はエスカレータ、大学は推薦入学(試験なし、面接のみ)、大学院は推薦(試験なし、面接のみ)、会社は推薦(面接のみ)と来てるからなあ。推薦人生ここにあり。推薦って結局自分だけでなく、推薦してくれた組織の後ろ盾があるのでかなり通過率も高く、オキラクなもんだ。しかしこの留学の試験はなんの後ろ盾もあるわけじゃなくって、別に落ちてもいいもの。それだけに落ちる可能性があるわけで、落ちるってのはやっぱり精神的には嫌なもの。なのでかなり緊張したわけだ。

そんな応募者の気持ちはよそに、2次試験はクエスト状態。まず書類で「 16:00 2F人事フロアなんちゃら会議室へ」ときた。いってみると張り紙で「場所が変わりました。なんちゃら柱の側のだれそれへきてください」。行ってみると、「別館の2Fの入ったところの誰それにきいてください」といわれる。別館へは3分ほどかかるので歩いていく。そして別館の 2Fに入ったところで人に聞く。すると前の面接が長引いているのでこちらで待ってくださいといわれる。とまあ、こんな感じ。そして20分も待たされた。何ができるわけでなく、お茶が出るわけでもなく、オフィスのはしっこのテーブルで待つのは苦痛以外の何者でもない。せめてもの救いは最後に案内してくれた人に面識があった程度か。

その2週間後。1次面接の試験官をした部長がたまたまうちの課長の側にきていた。挨拶すると、「あ、のまくんおめでとう。今回簡単だったみたいだねえ、2次試験誰も落ちなかったってよ」と突然いわれた。は? ってことは、受かっちゃったみたいだねえ。まだ人事からは何も通知きてないってのに(^^;

ということで、TOEFLの参考書は買うわ、電子辞書は買うわ、しまいには自宅図書館化計画で机は買ってみたわけだね。ようやく今日机が届いた。これで勉強する環境だけは整った。あとは気合だけ。

Racing Lagoon

lagoon「潟<<湾口などが砂洲でふさがれてできた浅い水面>>」 研究社 新英和中辞典より

はいいとして、スクウェアが送るキワモノ、HIGH SPEED DRIVING RPG、それがRacing Lagoonだ。主人公は1999年横浜を舞台とした横浜最速伝説を追い求めるレーシングチームに所属し、バトルを繰り返すRPGだという。詳しくはスクウェアホームページみてね。

スクウェアは FFシリーズでおなじみで、高品質なCGを使ったゲームを繰り出すメーカーというイメージがあるが、一方はキワモノくそげーメーカーでも ある。スクウェアは RPGというイメージが強いが、ファミコン参入第一弾「KING'S KNIGHT」でも、シューティングRPGとかいって、わけわからないくそゲーを出していた実績を持つ。このゲームは、主人公、勇者に賢者、魔法使いなど4体までをグラディウスのオプションのように付けることができ、縦シューティングの画面はRPGのフィールド、たまうつとスターフォースのように空中の敵と地面の物体などを破壊でき、パワーアップパーツを集める、、、って、そりゃ普通の縦スクロールシューティングゲームじゃねーかっ!! まあ、ドラゴンスピリッツってのもあの時代はあったからなあ、でもどこが RPGじゃ!!

そして Racing Lagoonだ。これは実際の横浜を舞台のベースとし、観覧車や外人墓地、本牧埠頭などが出てくる。このへんを縄張りとしてぶーぶーと走っていた自分にとってはなじみが深い。今では本牧埠頭は夜間でも警備員がたち、進入禁止だが、10年以上前は自由に入ることができ、ラブリーでデンジャラスで哀愁漂うカオスな場所だった。そんな場所をバーチャルで走り回れる?そりゃあ買うしかないだろ、RPG、ん、なんか匂うなあ、匂いというか、臭うって感じだけど。

で実際やってみると、もう、すべてがくそげー。ロードは遅い、説明書はわけわからない、開発者たちのマイワールドで、ぜんぜん没入できない。町中走っているとパッシングしてきた車と自動的にバトルに入るが、これは RPGの街の外のフィールドにでてると乱数でモンスターと遭遇するようなもの。雑魚キャラならぬ、雑魚車と勝負しなきゃいけない。ジャパニィズRPGの悪いところ、経験値稼ぎ、時間の無駄バトルの始まりだ。しかもレーシングバトルなのでさくさくと終わらない。どんなに自分が早くなっても数分はかかってしまうのだ。もかったるさの限界。しかも自分の車、86もどきのハンドリングも最悪で、雑魚車、アベニールワゴンもどきや、ハイラックスもどきにも負けてしまう情けなさ。負けるとパーツとられちゃうので、ふんだり蹴ったり。うー、やればやるほどストレスがたまる。

せがれいじり

そんな愚痴をいっていたら、くそげーハンターの友人がこのソフトを貸してくれた。このゲームは enixのである。う、enixといえばドラクエ、このゲームもドラクエなみに RPGってこと?? いやいや、enixは昔からプロデュースが本業で、ゲームを自分のところで作る、ゲーム会社とは一線を画す。このゲーム、あのウゴウゴルーガを作った人が企画したものらしく、まさに従来のゲームとは一線を画す、妙な世界。一度はじめたらとにかくハマレル。ゲーム内容は単純で、操作は簡単、さくさく進める。内容はイジリものと呼ばれるものへ行き、言葉の選択肢を組み合わせるだけ。言葉の選択肢の組み合わせにより、再生されるムービーが変わり、たまにあたらしいイジリものが出現する。その繰り返し。このムービーがナンセンスで笑える。ゲームというよりか、インタラクティブTVという感じかな。

人の価値

土曜日の夜の楽しみ、「恋のから騒ぎ」を見ていたら、男の価値は中身だと豪語する立教大学の学生がいた。で、お笑い芸人はいいけど、4畳半に住んでいる人は駄目だという。年収はどれくらいならいいんだとさんまがきくと、「さんまさん位」との答え。ふーん、興味深いぞ。結局その学生は自分はお金じゃなくって中身だと思っているらしいが、所詮価値はお金(年収)であらわせる、同じベクトル上か、同じ次元にあるわけだ。まあだいたいここに出てくる人ってのは極端な環境か、極端な性格、綺麗目という条件なので多くはムカツクんだけど、なんだか今日は哀れに感じた。多分その人ってのはきっとお金に困る生活をしたことがなくって、お金に困ることはすなわちみすぼらしいと考え、物はなんでも買える環境にあったんだろうねえ。となると彼女の選択はすべて買い物なのだ。いいものを、高いものを買う。価値のあるものを買う。自分の好きなものを買う。お店に並べられたもののなかから選ぶ、それが彼女の最大限できること。

なんか手に取るように見えてくる気がしない? 親がわがまま娘のいうがままになんでも買い与えた結果。欲しいものはなんでも買える、でもそれは所詮与えられた選択肢の中で、その商品の機能と価格だけを見て選ぶ。それ以上のものも、それ以下のものもない世界。そう、彼女に欠落しているものは、「育てる」ということ。

たとえば貧乏なブレイクする前の 4畳半に住んでいる男がいるとすると、その人には価値が見出せないのだ。さんちゃんがいくら「自分も4畳半のアパートに住んでた」といっても、その意味に気づかない。うーん、かわいそー。

ま、一概にお金があるなし、裕福か貧乏かでそうなるかどうかはわからないけど、育てることの意味と楽しさ、自分で価値を創造したり、付加することの楽しみを知らないって、かっわいそーだよねー。今それをやるかどうかなんてわからないけど、ボール紙一枚とハサミ、カッター、のり、定規があれば無限に広がる工作の世界、ノッポさんとゴンタ君の「できるかな」にトキめいたことのある人ならわかるだろう。ものの価値は原材料やデザインだけで決まるものではなく、それに費やした時間や気持ち、発想などでそれは素晴らしいものにもなるし、単なる紙切れにもなり得るのだ。ってことは説明してもわっかんないんだよねぇ。

選択する自由

今の世の中は、比較的自由である。古いモラルは崩れ、社会は乱れ、価値は見失われているからである。そんななか、価値を見極めることができない若輩ものは、なにかにすがるしかない。それがしたり顔でかいてある雑誌記事であったり、友人からの情報であったり。まあそんなのはいつの世の中でもそうなんだろうけど、特に気になるのは、みんななんも作らなくなったねーってこと。そう、今の若い者は(おやじくさい言葉だなー)自分らしさを演出するのに、ものの組み合わせをよく使う。つまりパーツの選択と組み合わせ。これは一番顕著に出ているのがDJ。DJはそもそもクリエイティブなものではなく、ある音楽と音楽の一部を切った貼ったしてつなげるだけのことだった。しかし、あるころからその切った貼ったの部分がクリエイティブなものとして認められ、かっこいい職業ということになっている。ファッションもそう、あるものをもってきて組み合わせる、小物もそう。今の時代、生地を買ってきて服を縫っているのはビジュアル系バンド少女かコミケ少女だけだと思っていたら、コミケ用のブティックまで出来て、セミオーダーメイド 綾波レイ戦闘服 30万円の世界である。すっごいよなー、ブランドものスーツばりのその値段。しかしその値段を出すだけの価値を見出せるわけだから、それはやはり凄いといえよう。 ちょいと話がずれたけど、綾波レイのは、吊るし10万円、セミオーダー30万円、フルオーダーメイド50万円とか(価格はうろ覚え)の中から選択しているに過ぎない。それが凄いのか、凄くないのかは知らないけど、そっかー今の時代作らないのねえ。

逆にいうと、選ぶのは非常にうまい。それは性能やデザインを値段に変換して価値を一元化して比較しているのだろうか。そしてお買い得なもの、よいものを選ぶ目利きができているのかも知れない。ただそれって、違うベクトルは評価できないから、男の価値がわからくなっちゃうんだよなー。

お金で得られないもの

時間は直接買うことができないけど、便利グッズや飛行機など使えば相対的に時間短縮して時間を買うことができる。一昔前の渋谷であれば女子高生も買うことができた。なのに世の中、買えないものはたくさんある。

たとえば都内、23区内で走る場所。違法でなく、合法で走れるサーキットはない。唯一あるとすれば、東京ガス敷地内にある、ジムカーナ場、東京ベイサイドくらいなもの。なんでいつも 100km以上も走っていかないといけないかなあ。1本1kmちょっとのために、片道 100km以上。効率わるいったらありゃしない。その分のガソリン代、高速代は4000円くらい。都内にあれば料金倍でも払うよなあ、でもない。

なんか話ずれたな。そう、お金で得られないもの。それは努力。友人。共有体験など。なんか精神論になってくるけど、仲間と一緒に過ごした時間ってのは財産になるよね。でもお金に変換もできないし、お金でもちろん買えない。そういうのが一杯ある人って、精神的に豊かで奥深くて、素晴らしい人だと思う。そういう人はお金なくて困っていても、助けてくれる人がたくさんいるだろう。やっぱりそういうのが財産だよねえ。そういう財産はきっとたくさん利子つくよ。

雨の浅間台

JMRC関東戦はまたもや雨。しかも浅間台スポーツランド。雨の浅間台といえば、グリップしないことで有名、ほとんど雪並みのグリップ力のなさ。曲がらず、止まらず、とにかく嫌。考えてみるとジムカーナを初めて追ったシリーズは浅間台。なので結構慣れているはずだけれども、焦れば焦るほどパイロンから離れていってしまうコース、それが浅間台。

今回は1本目が完全ウェットで、スピン。2本目はドライになったものの、シフトミス、サイドターン失敗で 21位と沈没。うー、かなり落ち込んだぁ。次回こそは気持ちに余裕をもって臨むぞ。

 


6月6日(日)


SII 電子辞書

新しいことがわかった。こないだ買った画面に表示されるほぼ全て(約94万箇所)の英語を発音する「ICディクショナリー《SD-7000》」はなんと 5/24発表、6/14発売だったのだ。あれ、フライング発売じゃん(^^; 最新鋭というのは気持ちがいいけどね。

さて、これだけど使ってみるとすばらしい。なんで中学のときにこれがなかったの(涙)?? きっとこれがあったら自分は英語が好きになって、もっとばりばりと勉強してただろう。というのは、単語を引くのが凄く楽で早く、しかも用例、類語までどんどんと引けていくのだ。単語帳なんて無駄なものを作るよりも、なんでも引く、忘れたら引く、覚えるまで引く、そうやっているうちに覚えていくだろう、これが一番。辞書も紙のものと同じだけ入っているのが素晴らしい。まったく技術の進歩は人間の才能をより開花させるだろう。あー、記憶力のいい時期に巡り合いたかったものよ。

とはいうものの、もちろんすべて満足なわけではない。なんでも載っていて、引けるのはいいんだけど、UIが悪い。ええ、断言します、最悪。

文字をいれて、「訳」ボタンを押す。はい、これはよいです。では用例を見るには? 「用例」ボタンを押して、用例を選択して、「訳」ボタンを押す。成句を調べるには「成句」ボタンを押して、単語を選択して、「訳」ボタンを押す。発音するには「発音」ボタンを押して、単語を選択して、「発音」ボタンを押す。うーん、なんでいちいち「用例」「成句」ボタンを押すんだ?単なるハイパーテキストで、リンクなんだから、カーソルで選択してジャンプしていいじゃない。発音に限っていえば、引いた単語をすぐに発音するためにも発音ボタンを2個連打する必要がある。それってなんかへん。 あとわからないのは、「ジャンプ」ボタン。これも属性切り替えボタンなのに、他の属性ボタンとは違い、「復帰」「訳」ボタンの間にある。「復帰」はブラウザの Backボタンの機能。

lynxというテキストブラウザがある。これは emacs上で WWWを見る、非常にライトなブラウザだ。リンクは tabやカーソルで選択でき、スペースでジャンプする。これでいいんじゃないかなあ。HTMLはリンク自身に対して属性はついておらず、すべて平等なリンク。リンク先のタイプにより、動作を変えている。 これに対して電子辞書はリンクに属性がついている。そのため、属性をボタンで選び、属性にあうリンクのみをカーソルで移動、選択してジャンプする。歴史的なものだろうけど、あんまり利口じゃないよな。ボタンは多くなるし、操作は煩雑だし。

パスという機能はヒストリ機能だが、これも「パス」ボタンをおしてから選択する形式。シェルによっては、カーソルの上下でヒストリ選択できるが、それができたらなんて素敵なんでしょう。

断じていおう。SD-7000は素晴らしい。素晴らしいのは研究社 新英和・漢和中辞典が電子化されたところである。UIは最悪である、と。UIはとにかくどーにか改善して欲しい。ELバックライトが付くとさらにいいな。

ああ、ヤビツ

4ヶ月ぶり位にヤビツへ行ってみた。しかも土曜日。前は2月だったので峠を登ったところで雪で引き返してきたけど今はすっかり初夏、コースコンディションはいいかんじ。

ということで、R246から上がって、宮が瀬まで久々に抜けてみた。すると色々な発見あり。旧お花畑コーナー(いまは上の方の展望台駐車場)にギャラリーはいるし、コースはところどころ補修されて非常に広がっている、キャンプ場は村営の立派なものが出来てたり、相変わらず深夜に水を汲みに来てる人がいたりと、ほんと10年以上前から考えられないほど変化したところと、してないところがある。もともとほとんど舗装されてななく、道幅が狭いところを友人の新車でごとごとと走って後悔したりと、自分の運転の歴史はヤビツとともにありという感じ。ヤビツのいいところは、なんだろうねえ、馴染み深いだけなんだろうなあ。本気で攻めず、腕に見合ったいいペースで流せるところかな。気をつけなければならないポイントは一つだけ、橋と沢。3速でほいほいと曲がっていると突然現れる壁、橋。ほとんどはブラインドに待ち受ける直角コーナーか、タイトターン。ブレーキしないと曲がれない、ブレーキロックさせるとまっすぐいっちゃう。横を向けるほど道幅はないし、だいいちブラインドだからわからず、気が付いたときは目の前壁か、欄干だからねえ。ま、自分のフィールドは別にちゃんとあるので、流す程度に留ときましょ。

ヤビツ峠の上にある駐車場には土曜日のせいか、オレたちFC軍団な人々が集っていた。1台だけチェイサー。

やっぱり宮が瀬

さて、宮が瀬といえば、壊し屋に警察。案の定、検問だか、事故だかわからないけど警察様がいらっしゃったので、即Uターンして412号へと抜ける。ダムができると、ほんと道つまんない。トンネル、橋、トンネル、橋の連続で、高速コーナーのみ、140km/hくらいで走れちゃいそうな緩さ。

R246に戻り、帰途につくと後ろから ヤビツであったオレたちFC軍団な車と再会した。なかなか偶然とはいえないよねえ。多分ルートが違うだろうに。なのでしばしランデブー走行。

それって目立つよ

本日、ぼーっといつものように府中から返ってくると、派手なNSXが交差点を曲がっていった。見た瞬間にわかった、それは全日本ジムカーナAIIIに参戦中の山野哲也のNSX。彼の車はうちの近くのエンジンチューニングショップに出していることは知っていたので、多分そこだろうなあと後をつけていったらやっぱりそこへと入っていった。しかし、あんなに目立つ車で、しかも全日本ジムカーナといえばローダーで運んでも良さそうなのに、自走してることにびっくり。次の全日本ジムカーナは来週6/13に北海道で開催だ。

図書館化計画

さて、そろそろまじめに勉強しなければならなくなった。勉強するにはまず環境が大事。なんかスキーやるのに、ウェアと板を揃えるように、形から入るようで嫌なのだけど、勉強机を買うことにした。考えてみると自分で買う勉強机はこれが初めてだ。パソコンデスクは先輩から買ったことはあるものの、勉強机とはねえ。小学生時代から使っていたのはよくある学習机ではなく、オフィスで使うステンレス製のものだった。そう、よくドリフとかのオフィスコントで使われるような典型的な事務机。右側に引き出しが3つ、備え付けられている、グレーのもの。妹も同じく、事務机だった。この事務机、何がいけないって、小学生の体系に合わない。椅子は子供用だったうえに、高さ調整機構が壊れたために座高がたりず、棚板が非常に高くて使いづらかったのを覚えている。 また収納が足りず、いつも机の上は教科書やら、ノート、資料の紙が散乱していた。ま、これは性格的なもので、いまのオフィスの机の上も、家のテーブルの上も変わらない。

しかーし、こんなのことじゃいかん。勉強できる体制じゃない。やるときゃやる主義としては、本気になりたい。そこで考えたのが図書館。実は図書館の自習室というか、机、これが大のお気に入り。大学生時代は結構図書館に通い、勉強をしたもんだ(偉い!)。なんでかっていうと、貧乏学生はクーラーなぞなく、図書館はクーラーがきいていたというのが一番の理由。それと広く、綺麗な机と椅子は教科書、ノート、資料を散らかすのも自由自在、しかも寝るのにも最適。コピーマシンは近くにあるしと、飲食以外では不自由しない。考えてみればいい環境だった。静かだし、広いし、綺麗だし。

そこで今回は自分の部屋を図書館化することにした。図書館化するには、まず机に椅子でしょ。机はとにかく広く。広ければ広いほど良い。できれば2席分くらいの広さがほしい。そして必ず確保したいのは奥行き。資料を散らかす主義としては奥にスタックのように資料を押しやっていく。そのためのスペースが必要だ。同様の理由から自分の位置は机の中心でなければならない。自分を中心として円周上に資料を配置するからだ。とにかくぜーんぶ広げ、ぜーんぶ自分から同じ距離にあること。それがポイント。

渋谷ロフト、ハンズに物色にいく。すると最近はどうも机といえば、すなわちパソコンデスクというか、パソコンを置くことが前提条件となっているものが多い。そのため、キーボードをおくための引き出しがあったり、右横に本体、プリンタなどがおけるようになっているものがある。しかしね、それはパソコンデスクが持つべき機能であって、なんか中途半端。キーボード引き出しは便利だろうが、腕をサポートするだけのスペースが手前にないために理想的な体勢は保てない。またデスクトップ型を前提とした配置は、ノートPC主体の多くのユーザーの要求に応えられるかというと疑問だ。事実、自分などはノートPCなので、少なくともキーボード引き出しは使い物にならない。

そんな自分が選んだのは、結局一番シンプルなタイプ。棚板があるだけ。引き出しがあるサイドワゴンを付け、収納はそちらへ。というのは棚板があるだけのタイプじゃないと自分が机の真ん中にこれないのだ。収納が本体にあるタイプだと自分が横によっちゃう。これはクルマのドライビングポジションと同じ。F1はドライバーがセンターなのだけど、ツーリングカー(いわゆる乗用車)は右ハンドルとか、左ハンドルとかいって寄っているでしょう。そんなの感覚的に変だよと常々思っている自分としては、やはりF1タイプがいいのだ。ちなみに同じ理由から座席がセンターにあるマクラーレンF1の方がフェラーリより好きなのだ。

それにしても机って高い。なんで木の塊がこんな値段するの?? こんなの普通かえないよ。しかしここは清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買ってみた。独身貴族(死語)だからこそ出来る技だよなあ、どうしてこんな値段するんだろう。もし家族もちだったら、こんなのかえないよ。もしくは生活だけでアップアップでまったく趣味や旅行にお金使えないよ。やっぱり物価高くないかあ? 一つ買えば100年使える家具にはとても見えないし、なんか空しさというか、虚脱感を覚える。

ま、なんにせよ、次はスタンドだ。う、スタンドもかなりする。なんで電球一個つくだけでこんな値段すんだっ。ふーっ。ソフトウェアなんてあんなに手間暇かけて作ってるのに数千円しかとれないんだぞ。電球なんて、100Vを突っ込むだけで光るシンプルなもののくせして、納得がいかーん!!


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