3月 6日(土)晴
こまねずみ生活
人間の心拍数は一分間に60回から150回くらい。緊張したり、カラダに負荷がかかったりすると心拍数はあがる。マラソンなんて、高い心拍数を保ちながら 42.195kmを走りきる競技だともいえる。さて、この心拍数、象の場合はかなり低いらしい。どうも数十くらいしかない。一方小動物、ねずみとかだと数百ほどあるという話だ。心拍数は CPUの動作周波数と同じようなもので、心拍数が高ければ高いほど、機敏な動きをするといえる。
逆に心拍数が高ければ高いほど寿命も短いということも考えられる。哺乳類のカウントできる心拍数は決まっていて、心拍数がある累計まで達すると寿命となるという説もあったような気がする(おいおい)。
それはそうと、最近の自分の生活は以前に増して密度が濃い。まるでこまねずみのように、右へ左へ動き回り、あれやり、これやり、ぼーっとする時間がない。ぼーっとしてないんだけど、たまに空虚に感じることがある。これってなんだろ?
生きている感覚
「生きてるー」という実感を持つ時とはいつだろう。自分の場合は、サーキット、ジムカーナなどでコーナリングが決まった時がその瞬間だ。ぎりぎりのブレーキング、そしてブレーキペダルを少しだけ弱め、タイヤのグリップ力をコーナリングフォースに少しだけ分けてあげ、ハンドルを切ってターンイン。このとき、車の荷重が前荷重からコーナリングの荷重、すなわち外輪へと移り変わる。そしてヨーモーメントが発生、ターンを行う。そしてコーナー出口にめがけ、アクセルオン。このアクセルオンの瞬間からハンドルを戻しきり、コーナーの脱出に向かうまで、このたった1秒ほどの瞬間、自分がこの世の中に実在するという感覚を色濃く持てる。まさにクルマばかの答えだ(^^;
逆にこの世の中に自分が実在しないかもしれないという、不安がよぎるときはいつだろう。それを考えるとおのずと見えてくる。例えば町中で歩いている時、電車に乗っている時。群集に紛れたとき、自分という存在は群集に紛れ、埋没し、1つの存在ではなく、群集を構成する一要素になってしまう。群集の一要素にしか過ぎない存在は、べつになくなっても大筋にはかかわらない、軽微なものとなってしまうのだ。
自分がこの軽微なものへと変わっていく様が感じ取れてしまう、そんな時に不安になるのだろう。これは社会の中、会社の中、友達グループの中、なんでもよい。人が存在する中にいるとき、自分を見失うことができさえすれば、いつでもそうなれるのだ。
群集の中に埋没しながら、軽微な存在にならないためにはどうすればいいのか。どうやったら自分を見失わずに済むのか。それはいつでも自分の絶対的存在、相対的存在を感じ、考え、定めていけばよいだけのこと。まあひらたくいうと「自分は自分」ってことだ。なにかに優れたところを持っていたとすると、他の人と比べると劣っていたとしても全体的にみればやっぱり優秀というところが必ずあるはずだ。それが絶対的価値であり、相対評価すると失いがちな自信を支えることができる。つまり自信をもつこということが大事なのだろう。
のまのやぼう
のまのやぼうの一つ、それはTV CMに自分の作ったものを出す事だ。なーんて考えていたら、あれま、VAIO Lシリーズ(液晶デスクトップ)のCMの中に一瞬だけ出てきてる。うぉーーーー、すげーーーーー。いつの日か自分のもので、15秒CMをジャックしてみたいところだ。
コミュニケーションの質と量
忙しさにかまけて、すっかり電話しない奴になっている自分がここに一人。家の電話なんて、週に一度使えばいいほう。留守電にはなにもメッセージがはいってない。1月に1,2件がいいところ。学生時代は一日に数時間も電話し、夜9時から12時の間に何軒も、それこそ5人くらにははしごで電話していたくらいだ。最長長電話記録は7時間。朝6時半まで電話してたくらい。そんな電話ダイスキだったやつが、このていたらく。携帯の方はといえば、一日に1件程度、それに1回が短く3分くらいだよね。たまに電話すれば、長電話にもなるけど、それにしてもやけに減ったね。
さて、これはどういうことか。まずは E-mailの発達。会社で一日に100件くらいのメール。うち10件くらいが私用のメールかな。それと家では So-netのアカウントのメール。こちらは一日に1,2件程度。そんなに多く感じないんだけど、前の一日5,6人電話していたときに比べれば、コミュニケーションしている相手の数は多いのかもしれない。
それでもなんとなく希薄な感じがするのは、やはりメールのコミュニケーションの質が、電話と比べて高くないんだろう。まず電話のいいところ。まずはリアルタイムに、耳元でささやく肉声。存在感が違うね。つまり本当にいるかのように、受話器は振る舞うのだ。これはいわば、バーチャルリアリティである。逆にいうと、まあ、それだけかねえ。留守番電話というものは、リアルタイムだけだと困るので、ストレージしてしまおうという考えだが、音ってのはどうしても時間軸が同時存在するので、件数が増えると聞くのがかったるーくなり、処理するのに手間がかかってしまう。
一方のメールはといえば、テキスト文字による、ストレージ型。ま、本当に葉書とか、封書と一緒。郵便局(POPサーバー)に取りにいく。見た目は郵便配達屋が届けてくれるように見えるが、ほんとは違う。メールは電報と一緒で、電話ほどリアリティがない。でもそれが逆に「ココロがあるよね」ということにもなり、情緒が生まれる可能性を秘めている。それとテキスト文字がゆえに件数が増えても処理できる量は多い。視覚による処理能力は高く、時間軸には制約されないためだ。
人と人のコミュニケーションを考えると、質、量、ともに必要だ。通常のコミュニケーションを考えるとそれは直接会ったり、話したりが一番効果的で、影響力も強い。次に電話やら、メールやら、ハイテクメディアを使って間接的に行うこともできる。間接的なものが、直接的なものを超えられるのか。それがコミュニケーションと質と量ということになる。
例えば男女がつきあって結婚するということを想定してみよう。普通は出会って、デートを重ねて、ゴールインということになるが、最近はよく「ネットで知り合って」というのを聞く。おいおい、なんでチャットやら、掲示板やら、メールで出会って結婚できるよなーなんて感心するが、実はそうでもないのだ。というのは、ゴールインするのにいくらかのコミュニケーションの絶対量が必要だとすると、それを達成するのに直接あうのは確かに効果的だが、それよりも絶対量が少ない間接的メディアであったとしても数多くやれば、達成できるのだ。つまり、質×量。ま、最終的にはどっかに質の thresholdがあるから直接会う事は必要だが。
今ねらっているのは、いかに質を高く、そして量をこなせるメディア。電話だとつながらないこともある。メールだと必ず読まれるけど相手の反応が今一歩わからない。チャットも同時にやらないと駄目だし、反応がよくわからない。この両方の問題をクリアできる、質、量をこなせるメディア。そこが重要。TV電話がまったく普及しないのは、値段が高いからではなく、TVがついてもコミュニケーションの質が余りあがらないのがポイントなのだ。それどころか、風呂上がりは出られないとか、化粧しないと駄目とか、デメリットも出てきてしまう。そんなわけでTV電話は電話を超えるメディアにはなれない。
じゃあ、どんなのが質が高く、量をこなせるメディアなのだろう。
- いつでもつながる
- リアリティがある
- コストが安い
- メディアを選択できる
- 相手を選択できる
というのが条件。いつでもつながるというのは、相手が出られない状況だとしても、必ず相手に自分がアプローチした「証拠」が残る事。そして「メッセージ」が残せること。リアリティがあるというのは自分の存在を相手にアピールできること。コストはもちろんのこと。メディア選択というのは、ようは声なのか、テキスト文字なのか、それともグラフィック(画像、映像)なのか、ビデオなのかということ。相手選択は嫌な相手を傷つけずに断るということ。
世の中色々なものが出ているけど、すべての条件を満たしたものはない。これを高度にバランスさせたメディア、ツールがあればそれはもらったも同然。今ちょっと気になるのは「文字電話(DDI Pocket)」、「i モード携帯」、「ポケットステーション」、「ICQ」、「プレステ2」、「GPS付き腕時計」。買いたいものばかりだってゆーはなしもあるが、まあ、そういうこと。気になるものは、欲しいのだ。会社で買えないのかなあー(^^)
3月 5日(金)晴
イニシャルD、湾岸MIDNIGHT新巻発売
うきうき、わくわく、非合法暴走漫画の2タイトルの単行本が揃って発売だ。今回のイニシャルD14巻は、京一のランエボIIIとの戦い。場所はいろは坂だ。
オイルパンのないドライサンプ式、グループA仕様のエンジンを低重心にマウントすることによる飛躍的なコーナリング性能の向上、それが新・藤原とうふ店号の武器だ。対する京一のランエボIIIはミスファイアリングシステムによる、ターボラグのない途切れない加速力と4WDのトラクションが武器だ。いろは坂という、直線とヘアピン、しかも急な勾配を持ったコースでいかに作用するか、そこが今回の見所。
設定では京一はジムカーナで磨いたテクニックを駆使し、サイドブレーキによるタイトターンを得意とする。確かにジムカーナではサイドブレーキをきっかけとしたタイトターンが多い。その時、4WDのトラクションをいかすと非常に高い速度でコーナーから脱出することが可能だ。一方FRの藤原号だが、設定ではサイドを使わず、バツグンの荷重移動によるブレーキングドリフトできっかけを作り、ターンしているらしい。まあ普通に考えると ジムカーナ仕様の 4WDターボの方が早いように感じるが、実際この漫画もまんざら嘘ではない。というのは、ターンだけ考えると、ほぼ互角かもしれないからだ。
というのも、まず藤原号はいうまでもなく、軽量であるということだ。次にサイドブレーキを使わないということは、減速区間が短く、アクセルオンの時間が長い。それに対して、サイドブレーキをきっかけとした4WDターボは、つまりは藤原号と比較して、曲がらないということに他ならない。曲がらないために、リアタイヤをロックさせ、無理矢理ヨー方向の動きを作っている。次に4WDのトラクションを支えているのはデフ。フロントデフ、センターデフ、リアデフの3つからなっている。この3つのデフのセッティング次第では、アンダーも、オーバーも覗かせる。もちろんサスペンションセッティングとのバランス、エンジンパワー、タイヤのグリップ力を考えると総合的なセッティングは難しい。京一のランエボはタイトに曲がることができるものの、前に進んでいたかは疑問だ。つまりタイヤのグリップをオーバーするほどの力をかけ、滑らせることで曲がっているに過ぎないかもしれない。
ラインを考えるともちろん近道の方がいいが、高速に曲がれるのであれば、遠回りしてもよい。このバランスが問題。そんなこんなで京一は藤原号をパスすることができず、引き分け、実質の負けを喫するのだ。うーん、奥が深いねえ。現実はやっぱりランエボの方が早いと思うんだけどね。
やっぱりおセンチ(死語)
さて、湾岸MIDNIGHTはといえば、ケイのスープラがついにブラックバードを捉える。しかしスープラには致命的なアキレス腱があった。それは、ボディだ。リアまわりの補強を意識的に落とすことで、800馬力のパワーを逃がし、タイヤからの入力を逃がす。逃がしつつ、車を前に進める。それがケイをスピードの向こう側にある死に至らせないための、1つの解。800馬力を活かせる期間は僅か。その僅かな時間を使いきった後、ドライバーの意志でブラックバードをオーバーテイクする。しかしそこまで。スープラのボディはよじれ、ついえてしまったのだ。ケイは車を降りてしまい、通常の生活に戻るが、再生したスープラに再び乗ることになる。
今回のポイントはボディ。ボディ補強をすることで、ボディがどうなるかなんて、ほんと、やったことがあるひとじゃないとわからないと思う。だいたい、想像もつかないよね。よく「ボディ剛性が・・・」なーんて、したり顔で評論家がいうことがあるけど、ほんとにそれがわかるの?? それは曲げ剛性? ねじれ? ボディがよじれるのは当然タイヤとサスペンションからの入力、負荷に応じてのもの。タイヤだって、ホイールだってねじれる。サスペンションのアームもそう、ブッシュは潰れるし、そんな中でほんとに鉄を張り合わせて作られたボディの剛性ってわかるんだろうか?
もちろん比較すれば誰だってわかる。ノーマルのボディ、補強されたボディを乗り比べることができればだ。しかしそんなことは難しい。だから今回のボディのよれ、入力を逃がす作りってのは非常に高度な話だ。しかし、それだけに非現実的な速度域のすさまじさが伝わってくる。
さて、自分の車はボディ補強していない。なぜか。それはねー、お金がかかるんだよねー。フルボディ補強50万円。ボディ補強はすればハンドリングがシャープになるし、ボディが動かなくなるので、サスペンションが本来の正常な動きになるのでもちろんやったほうがいいだろう。しかし、じゃあ実際どれくらいタイムにつながるのということになると、値段分のタイムアップにはならないかもしれない。だったら、その分を他のタイムアップするパーツに使いましょう、というのが今回のポリシー。でもねー、あこがれるよなあ、ボディ補強して、ロールケージを組んだ、がちがちのボディに。ま、まだドライバーがそこまでいってないからね、お預け。早く違いのわかるオトコになりたい。
ケイゾク
ドラマ「ケイゾク」はなんだか凄いことになってきてる。中谷美紀がこれほどまでに美しくなく映されているものは他にはないだろう。かといってリアリティがあるかというと、そうでもなく、ちょっとダークな精神世界に入り込む、ちょっと「いやな」ところを刺激する作りは見るものを逆に魅了する。いま一番のお勧めドラマ。
3月 4日(木)晴
DIALYおそるべしその容量
だいたいDIALYは一月分で40KBくらいある。これをほとんど自分の手で、キーボードたたいて打っているのだ。40KBとは、40x1024バイトのことである。ってことは 40960バイト。漢字1文字は2バイトコードなので、 20480文字をうったことになる。2万文字だ。だいたい3日に1回更新しているとして、1月に10回かいているとすると、1回あたり、2000文字。400字詰め原稿用紙5枚分を3日に1回かいていることになる。これはたいしたもんだ。月によっては50KBもあったりして、いったいどんな駄文をかいて埋めているんだか、自分でも感心。
DIALYおそるべしその購読者
DIALYで意外なのは、その購読者の多さだ。だいたい毎日延べ100名程度の人が読んでくれているらしい。どうもありがとう。しかもそれは自分の友人知人から、その他たまたま通りかかって読んで読みつけてしまった人まで色々だ。ここで考えたいのはその親近度。例えば読んでいる人のことを筆者がしっていれば知人となるが、知らない場合は読んでいる人は読者となる。読者は筆者と話したことがあれば、かなり近い存在だ。見ただけとなるとかなり遠くなってくる。見たこともなく、友人からは無しに聞いた程度というのもある。只単にサーチエンジンやリンクできちゃったような読者にとっては、この筆者「のま」の存在はまさにこの数十バイトのテキスト文字だけがパーソナリティを形成するための手段になる。
おそるべし、のまののまたるのまのま
何いっているだかわからないけど、それはおいといて、人の存在を考えた場合、その人の何を元にそのパーソナリティを想像するのか。メディアというものが一面性、一意性しか持たない、いやもてないことを理解しなくては、そのパーソナリティを想像する種を持つことができない。それは親近度というか、その人との時間的空間的体験共有を持てば持つほど種が多くなるのはいうまでもない。逆に持たないほど種が少なくなる。
種の数は多ければ多いほど、正解に近い芽がでる確率が高くなる。逆に少なければ発芽した芽はどっちへ向くか、わかったもんじゃない。
ん、抽象的で比喩的だって? そう、いつものような文章はまた今度。
日曜日いってきまーす。いったい何をしにだ? そりゃ見に行くためでしょう。岐阜にいく前に西新宿オペラシティの NTT ICCにいくのがスジってもんだが、ま、新宿はいつでもいけるしね。
おそるべしプレステ2
発表されたね、ついに。あの衝撃のプレステ発売から4年。たった4年しかたってないのだよ。それなのに、それなのにぃ、なんでこんなに性能があがっちゃうんだろうね。Pentium IIIをも凌駕する CPUパワー、業務用CGマシンを凌駕する グラフィックスパワー、そしてすべてのPCをも凌駕する低価格。すべてが桁外れの性能を投入したマシン。まったくもって、SCEの野望ってやつは、おそるべしだ。
おそるべしSCEの野望
プレステを発売したときの、SCEの野望は非常に明快だ。「32bitゲーム市場を押さえる」。スーパーファミコン CD-ROM開発で任天堂に歩み寄りながら、達成できなかった無念さ、屈辱をまさに晴らした格好だ。なんだか時代劇の復讐劇のような顛末。しかしそれだけではSCEの野望は収まらない。なぜなら、SCEは 32bitゲーム市場を押さえることで恐ろしいほどの富を得たのだ。
SCE, Sony Computer Entertainment、それは Sony Corporationと Sony Music Entertainmentの 50%づつ出資の子会社である。しかし設立から数年で、親会社 SMEの売り上げを超え、Sonyグループの中の利益の数割を占めるほどの成長を見せてしまった。いわばとんびが鷹をうんじゃったような状態だ。そんななかのプレステ2の発表。いったいプレステ2の野望はなにか?ドリキャスを潰すことか?それとも NINTENDOを潰すことか?
断言しよう、SCEの野望は家庭からPCを追い出し、プレステ2で占有することだ。恐ろしいほどのスペックを恐ろしいほどの低価格で提供、しかもプレステでの実績、ソニーのブランド、簡単接続。筋書きは見えている。性能が低く、高価格で場所もとるPCをわざわざ買うのはマニアに限定されるだろう。一般消費者、電気屋さんにファミリーで乗りつけるユーザーはPCは買わない、買う必要がない。
PCなら色々できるじゃない、WORDとか、EXCELとか。家でわざわざそんなことをしたい人はいない。だいたいオフィスに十分PCが行き届いている。今後オフィスでは一人一台ノートPCが配給されるだろう。そんな時代には、家で仕事をするのであればオフィスと同じPCを使えば済むこと。家で使うのはもっとパーソナルで、エンターテインメントなことだ。そこにフォーカスすることを考えれば、プレステ2のような形態になる。
competiterは誰だ?
ではSCEと競合する他社はいったいどこになるのだろうか。同じポリシーを掲げているところが、その競合他社だ。そう、それは「家庭の机に一台PCを(だっけかな?)」のマイクロソフト。ビルゲイツが偉いのはこのポリシーを貫きとおし、実際にそれに向かって邁進しているところ。しかも現実主義者で、芸術家でもなければ、孤高の技術屋でもない、今できることをできるだけ、背伸びせずにバグありでも提供するところだ。マイクロソフトが嫌いで、ビルゲイツを蔑んでいる人だろうと、マイクロソフトにお金を払って使っている。それって、なんだか余りにも卑屈な行為に思えるのだがどうだろう。
ドリキャスのOSは Windows-CE、マイクロソフトだ。プレステ2のOSはマイクロソフトではない(んだよね、きっと)。そうであればマイクロソフトの基本的戦略と真っ向から戦うことになる。
PCショック
そう考えると今なんとか堅調を保っているPC売り上げだが、普通に考えて落ち込むだろう。その落ち込みは数十パーセントの割合で冷え込み、PCショックとなるのは間違いない。その時期はいつか。プレステ2が発売されて以降だから、2000年だね。とくに特色のない、安いデスクトップは軒並み売れないだろう。
プレステ2が発売されて以降のPC業界がどうなるか、楽しみでならない。
3月 1日(月)晴
長かったよ もう少しで 凍えそうで目を閉じた (WHATEVERより)
長かったこの瞬間。ようやく光明が見えてきた。昨日出た JMRC関東ジムカーナシリーズ第1戦、A2クラスで 9位になった。シビックの乗り換えてから初めての一桁、シリーズポイントゲット。今年最初のジムカーナで、幸先のいいスタートにもなったし、なんだか春の予感。